伝染病について
古井由吉が亡くなったそうだ。尊敬する小説家の一人でもあったし、笑ったときの顔が現代的でなくてなんだか好きだった。冥福を祈るっていうのはなんか違う。
彼の名前を聞いてまっさきに思い出すのは競馬のこと。予想に乗っかってずいぶん儲けさせていただいた。ディープインパクトが国内で唯一負けたレースを彼は当てていて、その時の払い戻し金で私は液晶テレビを買った。その時我が家にはテレビがなかった。
そういえば古井由吉がテレビに出たことがあった。たぶん又吉直樹が芥川賞を取った時のことだと思う。番組МCの稲垣吾郎は小説を読んでも理解できなかったようで「いろいろあるんですね」みたいなことを言っていた。ふつうそういう時にテレビに出る作家というのは、あきらめて、わからなくてもしょうがないという態度を取りがちだと思うのだが、質問をしたりどうしてわからないのか考えてから説明しようとしていた。自分の作品について会話をしたがった。
会話を大事にする人なんだなと思う。饒舌な人とはちょっと違うという意味で。
むしろよくしゃべる人は会話を大事にしていない。饒舌な人は会話よりも納得させたりしたりすることが好きだ。私は納得というものが嫌いなのでそういう人たちが苦手なのだが、古井由吉もそうなんじゃないかなとなんとなく思っている。
饒舌な人が悪いというわけではない。逆に自分のような人間が自分本位でわがままなんであって、全体のことを考えていて協調性があり人格的にも明るさが感じられ人気者になる人もたくさんいて、良いことに決まってると思う。だけどちょっと言っておきたい。納得というものは、ほとんど例外なく何かに対する攻撃を含んでいる。そしてその攻撃は弱いものへと向かいがちだ。人を納得させようとするときには出来る限りその攻撃を強いものに向けるべきで、そうすれば表現の強度も増す。そのへんのことを考えてもらいたい。納得するときも同様である。
それはさておき…
「個が弱くなると伝染病が流行する」と古井由吉が言っていた。雑誌の座談会だったと思う。映像や音声ではないと記憶している。小説の中の話ではないことは間違いない。
当時、それでなんだか腹が立った。腹が立ったことだけ覚えているが、どうして腹が立ったのかは思い出せない。今もこのセリフをきいて腹を立てる人がいるのかもしれないが、落ち着いて考えてみればいろいろと思い当たることがあるのではないだろうか。
いままで伝染病にかかるリスクが全くなかったとでも思っているのだろうか。世界のグローバル化によって弱まった国家の個を強くするために隣国からの入国を規制するというつもりなのかもしれないが、コロナウィルス流行の原因を押し付けているだけで日本政府はけっきょく韓国に甘えているだけだ。新型肺炎という呼び方を武漢肺炎に変えたからといっていったい何が解決するというのだろうか? 納得する人間はいるのだろうがな。 情報技術の発達は人間関係を円滑にすることには貢献せず、自分の思い通りにならないという理由から便利ではない人間を嫌悪する。その反動で同意と共感ばかりを他人に求め、まわりの人間たちは現象と化し、お互いにランク付けし監視しコントロールしもたれ合い利用し合う。他人を理解せず尊重せず尊敬しない。貰えるものはもらっておく。人との距離感がない。電車の中や店頭でよく思う事――親切というのはいったい何のことだったのだろう。親切じゃないから怒るなんてどうかしている。もはやそれは親切ではない何かだ。
愚痴をこぼすと要求しているととられる時代だからもうこれくらいにしておこう。人を納得させるときに大事なもの。それは大勢とかみんなとか権力とか金とかではなく、お前とかあなたとかきみとかyouとかよばれるものだということを最後に言っておく。
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