「きみの鳥はうたえる」ってなに?

「きみの鳥はうたえる」という映画を観て、幸福な気持ちに満たされたままアパートに帰るとふと思った。「きみの鳥はうたえる」ってなに? 一応は集中して、ちゃんと映画を観ていたつもりだったのに、タイトルの意味がわからない。

映画館に行くまえに暇な時間があったので、「原作者の名前もきいたことあるし、もしかしたら読むかもしれないな」と、買っておいた文庫本。おかげで、すぐ読み始めることになったわけだ。

小説を読んでみれば、タイトルの意味は謎でもなんでもなくて、ビートルズの「And Your Bird Can Sing」という曲のことだとすぐにわかる。それどころか、小説を読み終わってGoogleで調べてみると、いちばんはじめに出てくる書籍についての短い説明の中にそれは出てきた。でも、損をしたとも思わないし自分が馬鹿だとも思わない。ネットを見ているより本を読んだほうがいいということをいうつもりはない。しかし、その逆でもないだろう?

映画や小説を選ぶときに、自分の勘を信じることや自分はツイていると思えるということを、私は大事にしている。そのためには勉強じみたことをすることもたまにある。まぁ、そういうことだ。

歌詞和訳 | And Your Bird Can Sing – The Beatles |アンド・ユア・バード・キャン・シング(君の鳥も歌えるよ) – ビートルズ の歌詞和訳エイカシ | 洋楽歌詞の和

アンド・ユア・バード・キャン・シング (君の鳥も歌えるよ) - ビートルズ 君は欲しいものは 何でも持ってるって言うよね 君の鳥も歌を歌えるって でも僕を手に入れてない 僕をつかまえてはいないよ 世界の七不思議全部を 見てきたんだってね 君の鳥も綺麗な緑色だし でも君は僕を分かってない 僕が見えてないんだね 君の宝物が 君の重しになり始めたら 僕の方を見てくれよ 僕が君の傍に 傍にいるからさ 君の鳥が歌えなくなったら 君はとても落ち込むだろうね そしたら多分目が覚めるさ 僕が君の傍に 傍にいるからさ この世界中にある 全部の音楽を 聞いたんだってね 君の鳥はスイングまで出来るって でも僕の歌は聞こえてない 君には聞こえないよ And Your Bird Can Sing - The Beatles You say you've got everything you want And your bird can sing But you don't get me You don't get me You say you've seen the seven wonders And you bird is green But you can't see me You can't see me When your prized possessions Start to weigh you down Look in my direction I'll be round, I'll be round When your bird is broken Will it bring you down You may be awoken I'll be round, I'll be round You tell me that you've heard every sound there is And your bird can swing But you can't hear me You can't hear me

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主な登場人物は三人。郊外の書店で働く「僕」と一緒に住む静雄、書店の同僚で「僕」の恋人の佐知子。この歌は「僕」のアパートに静雄が引っ越してきた夜ふたりで一緒に飲んでいるとき、レコードプレーヤーがないことを残念がる静雄から「僕」に向かって歌われる。映画では、静雄はいつもイヤホンをしていて音楽が好きであることはわかるが、歌いはしない。歌うのは佐知子で、静雄とふたりでカラオケボックスに行った時に「オリビアを聴きながら」。♪出会ったころは、こんな日がくるとは思わずにいた♪。

佐知子は書店の店長と不倫をしている。「僕」と出会うと別れることを決めるが、すぐに「僕」とも別れ静雄と付き合うことになる。

舞台は東京から函館に移り、死神みたいな男の同僚や仕事熱心な警官など、映画と小説で違うところはいくつもあるが、萩原聖人演じるこの店長も原作と少し違う。佐知子と別れることになって店長は「僕」に、ある秘密を告白をするのだが、そのことを佐知子は知っていたのだろうか? 知ったのならそれはいつ? 怖いよ店長。


にもかかわらず、この映画は原作に忠実だと思う。いったいどうゆうことなのか。携帯で読んだ三宅唱監督のインタビューによると。

三宅:そうだと思いますね。だから佐藤さんが言葉で表現したものをそのまま映画にするんじゃなくて、「言葉」という形を取るもっと前の部分に「映画」で辿り着きたい。「根っこで繋がりたい」と思ったんですよ。


なんだかスゴイことになってきた。俳優みたいなことを言っていて、熱意だけは伝わってくるが結局よくわからない。

佐藤泰志の小説に考えを集中してみる。


佐知子と出会ったとき、「僕」は約束をすっぽかす。翌日、ふたたび会って彼女に言われる「約束を破るなんて誠実じゃないわ」。「僕」は「誠実か?」といって思わず笑ってしまう。「僕」と佐知子の関係は「誠実さ」という言葉によって始まる。「僕」と静雄の関係は? ビートルズの話から考えればそれは「わかりあえないこと」だろう。そして佐知子と静雄の関係は、言葉にならないような悲しみだと思う。

悲しみというよりも、痛みといったほうが正確かもしれない。しかし佐藤泰志のこの小説は、昔のハードボイルドのように心理描写がほとんどないので、はっきりしたことは言えない。はっきりしているのは、最後に静雄が自分の母親を殺してしまうということだ。

そしてこの最後が、映画と小説で決定的に違うところだ。何が違うかは、映画を観てもらうしかないだろう。



すべてを言葉で説明しようとか、何もかもはっきりさせるというのは、少なからず暴力的なことだ。テレビはすべてを金額と食べ物と葬式で説明しようとする。馬鹿々々しいとは思うが、しかしそれもある程度の真実を含んでいるのかもしれない。生きているというのは、全然「知らない」ということに似ている。この映画は青春映画だと言われているが、たしかにそうだと思う。



佐藤泰志。1990年、遺作となった『虹』の原稿を編集者に渡した後、国分寺市の自宅近くの植木畑で首を吊って自殺。享年満41歳。


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