立川志らくのシネマ落語 特別編VOL.12

志らくのホームページから引用。


シネマ落語の概要を説明しておきます。 とりあげる作品は洋画。時代設定を落語の時代、つまり江戸、明治、大正、昭和初期に変更。 登場人物はすべて落語国の人。八っつあんにご隠居さん、与太郎、権助、幇間の一八などなど。そしてエンディングに落語的な落ちをつける。

 立川志らく著「雨ン中の、らくだ」より


今回とりあげる映画は「ダイ・ハード」。
場所は新宿の紀伊國屋サザンシアター。


九月四日、火曜日。朝から雨。雨が止むと生ぬるい風。正午のてれびじょんの天気予報が、台風第二十一号の接近を知らせる。空を鼠色の雲が速く走り、風はどんどんどんどん吹いてくる。雨は天の投げ飛礫。台風がくる。なに? 風速50メートル? 

志らくとは関係ありませんが、よかったら聴いてみてください。


台風は大阪を直撃するらしい。Twitterを見てみれば、風で屋根が飛ばされる映像とともに、嬉しそうにはしゃぐ子供のツイート。子供たちは、情報テクノロジーが進歩しても昔からちっとも変わらない。そういえば、逃走している容疑者は、暴風のなかでずぶ濡れになるのだろうか。それとも、もうそこにはいないのか。

古今亭志ん朝が言っていた。他愛もないってところが、落語のいいところ。そういう下らないものに金を出して来てくれる。これが余裕、つまり文化。だと。

子供や若者や犯罪者は余裕がない。

「まぁ、楽しいこともあれば辛いこともある。できれば楽しいことばかりで済ましたい。悪いことは全部他人のせいにしたい。でも、そんなことを言ってる、あいつらにも自分にもうんざりする。下らなくて煩わしい日々の生活や人間関係。それに自分を合わせなければ生きていけないという過酷な現実。」

そんな彼らは、余裕もないのに余裕ぶってみたり,街中を逃げまわってみたりしている。いつも切羽詰まっている。つまり余裕がない。しかし、文化があるかないかは賛否の分かれるところだろう。差別だって言われそうだし…。


台風の影響で電車が止まったりするのが心配で、早めに新宿へ。時間に余裕ができたので、サザンシアターに隣接する高島屋を散策する。外では風が吹き荒れる中、可愛いグッズがいっぱいのミッフィーちゃんや、カッコイイCHANELのショウウィンドウを見た。

関係ない話ばかりして申し訳ない。。シネマ落語ですね。

18:30開場。待っていた他の人々とともに場内へ。席に座って、入口でもらったプログラムを読む。ふむふむ…志らく曰く、「ダイ・ハード」は1作目だけで十分。続編は全否定かぁ。なになに…それまでのシネマ落語は全て単独の噺であった。現行の形にしたきっかけがこの「ダイ・ハード」なのである。なるほど。

現行の形というのは、まず古典落語の噺を2つほどやり、その登場人物がシネマ落語にも登場するという趣向。プログラムに乗っている演目は「たぬき」「妾馬」「ダイ・ハード」なのだが、急遽変更したのか間違えたのか知らないが、1番目の噺は「野ざらし」だとのアナウンスが…。台風は来るし、なんだかごたごたしてんなぁ。

というわけでこの日の演目は、

「野ざらし」「妾馬」 八五郎の「ダイ・ハード」


客席はほぼ埋まっている。時間になると、前座なしでいきなり志らくが登場。遅れてくる客もちらほらといる中、話し始める。

体操協会に巣食う夫婦とジュゴンのことや、政治家の権力闘争のこと、前座のころ苦労した話やテレビ出演のことなどを喋る。ちょうどこの時間、志らくは「踊る!さんま御殿‼」に出演。家に帰ってから録画してあったものを観てみると、話のなかに唐突に出てきた、くっきーという吉本芸人の姿がそこにあった。難解なメディアミックス。ビミョーな「おみやげ」。


「野ざらし」は大好きな噺なんだけど、得意ではないのであまりやったことがないと言う志らく。聴いてみると、確かにそうかもしれないという印象。ウケない。余裕がない。

どんな話か参考までに…。八五郎が寝ていると、女嫌いの浪人が住む隣の部屋から、女の声が聞こえる。覗いてみると、十七、八ぐらいの美しい娘がいるではないか。翌朝、浪人にきいてみると、あれは生きた人間ではない幽霊だという。釣りの帰りに人の骨を見つけて不憫に思い、酒をかけて句を詠み供養した。その霊が訪ねてきたのだと。美しい女に会うために、それを真似する八五郎は落語によく出てくる馬鹿者である。八五郎の明るい馬鹿さ加減は、何の説明もされない死んでしまった娘の悲しさとは対照的だ。

志らくは、噺が終わると拍手を遮って解説を始める。「談志みたいになってきた」。


続けて、生前の談志が褒めてくれたという「妾馬」。妾馬と書いて「めかうま」と読む。

妹のお鶴が殿様にみそめられて側室となり子供が生まれ、屋敷に招待される八五郎。頭が悪いのか武士が嫌いなのかわからないが、無礼千万で傍若無人な態度。酒を飲まされると、酔っ払い、歌を歌いだし、孫の姿も見られない母親が不憫だと言って泣き出す始末。

涙を誘う内容で、最後は妹思いの八五郎に感情移入してしまった。筋だけじゃなんだかわからないと思うが、落語とはそういうもんです。たぶん。


休憩をはさんで、最後の「ダイ・ハード」。おなじみのあの映画が落語になるわけであります。八五郎は押し入れに隠れます。やはり人がたくさん死ぬわけなんだが、ズバッとかブシュとか言った調子で簡単に殺される。子供のごっこ遊びのように…。

昔の自分も含めて、人を殺す遊びやゲームばかりしている子供って何を考えているのか? 暴力が好きなのか嫌いなのかよくわからないななんて思う。とりあえず、志らくは暴力が嫌いみたいだ。

なんだかんだで、最後は感動の大団円。野暮だから詳しいことはここには書かない。



落語は面白かったし、台風で止まっているという情報が入り心配していたが、電車も動いていた。めでたしめでたしである。

ところでこのシネマ落語という代物。かなり大変なことをやっていると思うのは、私だけなのだろうか? 映画の話をただ落語にしたって、あまり満足する人はいない。どういうつもりで志らくはこんなことを始めたのだろう。

たった一人で、自分の身体を使って映画の面白さを表現する。そんな人がいた。その人の話を聴いていると、まるで映画を観ているようで、その人自身が映画なんだって納得するしかないような人。わかっているとは思うけど、くっきーじゃないよ。

淀川長治。

そんな人が絶賛していた映画を最後に置いておこう。昨日たまたま観ただけなんだけどさ。


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